山下清美/川浦康至/川上善郎/三浦麻子『ウェブログの心理学』

ウェブログの心理学

ウェブログの心理学


僕自身は小学生の頃に日記を書かされ、大学生の頃からは主にWebに日記を書いてきて、Web上に日記を書くことに「どうして?」を訊ねられることは実はけっこう多い。この本の中には、それに対する納得のいく答えがたくさんあって、自分的にも満足。ブログのノウハウ本でなくて、こうして書くことによる心理的な影響などが調査、研究されているのはとても刺激的でした。
そして、教育活動の中にブログを使えないか?とちょっと考えていることもあって、これからどのように学校現場にブログを入れていくか、どのようにカリキュラムの中に入れていくかの指針ともしたいと思いました。

この本をサポートするためのブログも開設されています。

以下、メモ。


p.4
メディアを通したコミュニケーション=
・利用できる感覚器官が制限されることが特徴
 電話は聴覚情報だけで、メールではいっそう少ない感覚情報で
 コミュニケーションがされる。


p.5
生物学的な特徴(性別や年齢、容姿など)や社会的な特性は、

意識的に伝えない限り伝わらない。


その一方では、逆にこの制約を利用し、自分が伝えたいことだけが伝えられるともいえる。対面場面では自然に現れてしまう社会的な手がかりを隠すことができるからこそ自由に自己表現ができるということもありうるのである。


p.6-7
コミュニケーションの公開化と個人化
メディアコミュニケーションの目指す2つの異なった方向

1)公開化
 ウェブ日記やホームページなど

2)個人化
 携帯電話、電子メールなど


p.15
ホームページを持つ動機(池田謙一・柴内康文「電子メディアにおける“受動的”情報発信のコミュニケーション的意味づけ」)

1)情報の提示動機
「自分の経験体験を伝える」「関心を共有する人への情報提供」「趣味に関する記録を残す」「日々の記録のため」

2)自己表現動機
「自分を売り込む」「自分の作品などの公開のため」「自分の主張や意見を伝える」

3)コミュニケーション動機
「知り合いへの近況・情報提供」「団体などの情報発信交換」


p.25

ウェブにあるテキストには、書き手と読み手の間に断絶が存在する。そして、テキストという視点から考えを進めていくと、読み手主体のコミュニケーションが展開しているともいえるのである。書き手とは別に読み手の「著者性」が存在し、読み手がテキストを作り出しているのである。そのような意味で、受けて主体のメディアという見方もできるのである。
日付けという時間軸で、メッセージが区切られている日記は、ホームページのこのような特性と相性がよいのかもしれない。世界中に存在する無数のウェブ日記ウェブログは、日付けという時間軸で相互にシンクロしあっていて、読み手がその時間軸にそってテキストを再構成することが容易にできる。


p.76
ウェブ日記の効用
1)自己に向かう効用
「自分の問題や感情などを、整理し明確にすることができる」「不満や葛藤などを発散し、すっきりすることができる」「書くことによって自分の本当の気持ちがわかる」などの解放感。自分の考え方や能力が正当なものかがわかる。

感情の表出(カタルシス)、自己の明確化、社会的妥当性の確認

2)他者との関係に向かう効用
「自分に共感してくれる他者と出会い、親しくなれる」「自分のことを書くことで、他の人もその人自身のことを知らせてくれるようになる」「個人と個人が互いに素直に意見交換できる」

二社関係の発展、社会的コントロール(何について開示する/しないを区別、相手への印象や関係をコントロールする)


p.105
月刊インターネット利用動向調査(2004年1月)
http://csp.netratings.co.jp/nnr/PDF/227_2004release_j_final.pdf


p.108
有名人ブログ集(blog Celeblities)
http://klaxon.uiui.net/celeb/


p.121
ウェブログがインターネット社会にもたらしたもの

1)
ウェブ上で情報を発信する際の標準的スタイルを確立することを指向
RSS機能を実装
RSSにのっとって提供されている数多の情報群を単一の基準で整理できる

2)
時間だけでなく、情報の内容という軸から個人の発信する情報を整理
・コンテンツをカテゴリーによって分類
・コミュニティ内でキーワードを共有


p.124

ウェブログにはブロガー個人が作り上げる独立した空間が厳然として存在することである。個人空間で長きにわたって書き続けられるコンテンツはブロガー自身のライフ・ヒストリーという太い縦軸を形成し、その一方でコミュニティを横断する形で「今」を切りとることもできる。またコメントやトラックバックを通じた読者の個人空間への参加という形でも横への拡大の様相を見せる。われわれが物事を理解する際に、縦断的に眺める視点と横断的に眺める視点がどちらも重要であるということに異論の余地はないだろうが、ウェブログはそのスタイルからして、両方の視点を利用者に与えてくれるコンテンツであるということができる。つまり、ウェブログというコンテンツのもつ社会心理学的な意味を考えるとき、まずもって注目すべきは、個人の持つ情報という横糸と、個人のなかで経過する時間という縦糸が組み合わさることによってもたらされる絶妙の相乗効果なのである。


p.130
mixi依存症なんです
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0408/31/news049.html?c


p.136

「あなたにとってウェブログとは何ですか」と問われたら、私はこう答える。「自分史であり、他者とのインタラクションを交えた貴重な知的財産である。重要な他者とのネットワークを創発してくれる場でもある。そして、書くことによって自己を表現することによるカタルシスも精神衛生上大きな効果をもっている」と。ネットワークが社会や個人にさまざまなネガティブな影響をもたらすことはもちろん承知しているし、自身の経験でもそういうものがないわけではない。しかし、それをただ悪し様に批判する言論や、いたずらにネガティブな変数にばかり注目した研究(こういっては何だが結構多い)には決していい印象を持つことができない。それは、筆者にとってインターネット上での自己表現がコストをはるかに凌駕するベネフィットをもたらしてきてくれているからである。

%この感覚、とってもよくわかります。