司馬遼太郎『街道をゆく3 陸奥のみち 肥薩のみち ほか』

街道をゆく (3) (朝日文芸文庫)

街道をゆく (3) (朝日文芸文庫)


司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズは大好き。この巻は肥薩のみち。明治維新で中心だった薩摩と肥前について。それに興味があって読んだ。
いろいろとおもしろいトピックがあったのですが、いちばんおもしろかったのは都道府県の名前の由来のところ。
歴史とはなんて感情的な部分が大きいものなのだろう…。そして、それが蓄積されて今に至っているのだね。それを考えると、「南アルプス市」とかいう名称はやっぱりイヤだと思うわけです。

詳しくは以下で。

p.90

明治政府がこんにちの都道府県をつくるとき、どの土地が官軍に属し、どの土地が佐幕もしくは日和見であったかということを後世にわかるように烙印を押した。
その藩都(県庁所在地)の名称がそのまま県名になっている県が、官軍側である。

薩摩藩-鹿児島市が鹿児島県。
長州藩-山口市が山口県。
土佐藩-高知市が高知県。
肥前佐賀藩-佐賀市が佐賀県。

の四県がその代表的なものである。
戊辰戦争の段階であわただしく官軍についた大藩の所在地もこれに準じている。
筑前福岡藩が、福岡城下の名をとって福岡県になり、芸州広島藩、備前岡山藩、越前福井藩、秋田藩の場合もおなじである。
これらに対し、加賀百万石は日和見藩だったために金沢が城下であるのに金沢県とはならず石川という県内の小さな地名をさがし出してこれを県名とした。
戊辰戦争の段階で奥羽地方は秋田藩をのぞいてほとんどの藩が佐幕だったために、秋田県をのぞくすべての県がかつての大藩城下町の名称としていない。仙台県とはいわずに宮城県、盛岡県とはいわずに岩手県といったぐあいだが、とくに官軍の最大の攻撃目標だった会津藩にいたっては城下の若松市に県庁が置かれず、わざわざ福島という僻村のような土地に県庁をもってゆき、その呼称をとって福島県と称せしめられている。