武光誠『日本人なら知っておきたい神道』
- 作者: 武光誠
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2003/06/21
- メディア: 新書
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日本人のくせに神道と仏教の違いもよくわからなかったりすることにふと気づき、そのものずばりのタイトルに惹かれて買った。まあ、宗教の作られ方、みたいなところもちょっと考えさせられるけど、それよりも身近に生きている神道からの伝統とか風俗に「へー」と思うことのほうが多いかも。神社とか行ってみて、いろいろ確認したくなる。
以下、メモ。
p.28
「あらゆるものの霊魂が神である」
「
人間も動物も、山や川、あるいは雨や風といった自然現象も、霊魂を持っている。この霊魂は、本来は清らかなものである。そして、人間がなんらかの霊をまつったときに、それは神になる。
」
↓
p.29
唯一絶対神との違いは、世界は平等な霊魂の集まりであると捉えるところ。自分がまつるものだけが神になる。神は、まつらない人間を罰することはない。
したがって、神と人間の関係は、自分の好きな人間と付き合い、何かのおりに助けてもらう人間関係と似ている。
p.31
「
神道は、神を中心とするものではなく、人間を中心とする宗教である。神を信仰する者がいるから、神が存在するのだ。
」
↓
この考え方により、人間はさまざまなものに守られていると思い、謙虚な気持ちで生きることができる。
p.38
「
神道は生命の尊重のうえにつくられた宗教である。
それゆえ神道は、「生命あるものを生み出し、つくり出す」ことをあらわす「産霊(むすひ)」という行為を最大の善行とするものである。この「生命あるもの」とは、人間や動物だけをさすものではなく、人間がつくり出したさまざまな品物を含む概念である。
」
p.106
仏教と神道の交流により氏神と氏寺をまつる方式へと転換
氏神(神道):
ひとつの豪族と豪族の支配地域の民衆を守るためにまつられている
氏寺(仏教):
豪族の祖先を供養する場
p.149
鳥居は神域と人間世界の境界
注連縄(しめなわ)は「ここにむやみに近づいてはいけない」と告げるもの
p.172
正しい拝礼の方法
「
手水舎(ちょうずや)で身を清めたのちに拝殿の前に立つ。そして、鈴を鳴らし、賽銭をささげたのちに「二拝二拍手一拝」の拝礼を行なう。これで参拝は、無事終わったことになる。神の祭りには、煩雑なとりきめごとは一切ない。
」
p.182
「
大阪府岸和田市のだんじり祭りや、長野県の諏訪大社の御柱祭のように、ときには死傷者を出す激しい祭りもある。こういったものは、荒々しい神(荒ぶる神)を祭神とする神社の祭りである。荒ぶる神は、人びとの死をも恐れぬ勇壮なふるまいを喜ぶとされる。
」
p.184
祭りの基本的な手順
祭りの前:
神職や氏子が禊や精進潔斎(身を清めること)をする
↓
神迎え:
祝詞を読むなどして、神の依代となる神木などに神を迎える
↓
宵宮:
神殿で迎えられた神に休んでいただく。供え物をして、夜通しかがり火を灯す
↓
祭りの当日:
神楽を奉納したり、神をお乗せした神輿で街を練り歩いたりする
↓
神送り:
神の依代を焼くなどして、神に天界にお帰りいただく