落合博満『コーチング―言葉と信念の魔術』

コーチング―言葉と信念の魔術

コーチング―言葉と信念の魔術


ひさしに薦められて&中日優勝(間近)の記念ということで読んでみました。今まで、落合さんはあまり好きじゃなかったんですけど、ずいぶんイメージ変わりました。あの人、プロだね…。さすがだよ。かっこいい。

↓このへんとか、超共感!ちょっと長いけど引用。

p.214 「人生において、学校の試験のように満点の答案を書くことはできないだろう。だからこそ人生は面白いのである。自分の道を切り開いていくためには、苦しんだり悩んだりすることも必要だ。苦しんで、苦しみ抜いて、そこでようやく答えが出て、明るい兆しが見えてくれば、それが自分の財産になる。常に頭を使って考えていれば、どんなことでも道は開けてくる。自分の探している答えは、必死になって見つけなければいけない。ところが、口で言うほど答え探しは楽ではない。何かの壁や困難にぶち当たって、そこを切り抜ける答えが見つからないと、「これができなくても、自分はほかのことができるからいいや」と思って逃げてしまいがちだ。しかし、一度逃げてしまうと、物事をそこから先に進ませることはできない。目の前に高い壁があったとしても、それを乗り越える方法はいくつもある。ハシゴを持ってきてもいい。壁に沿って壁がなくなるまで歩けば、回り道になるが向こう側へはたどり着ける。ダイナマイトで壁を爆破させても、地面に穴を掘ってもいいだろう。とにかく考えてアクションを起こせば先に進める。だが、そうする前に「ダメだ」と諦めて帰ってきたら、何も得るものはない。」

ダイエーも負けてしまったことだし、日本シリーズは俄然中日を応援する気分になってきた…。

以下、メモ。

p.18

私には、コーチという仕事は教えるものではなく、見ているだけでいいという持論がある。

p.19

日本では、口を酸っぱくして教えられるのが良いコーチで、それができないのは、何も仕事をしない悪いコーチと言われてしまう。だが、決してそうではない。周りの目を気にし、選手に手取り足取り教えないと、「このコーチは何もやっていない」と思われるのではないかという考え方をするからいけないのだ。本当に気をつけなければならないのは、指導能力のない者が、素質の高い者の入り込んではいけない部分に入り込んでつぶしていくことなのだ。

p.23-24

最近の社会は、教える側は教えることに、また教えられる側は教えられることに“慣れ”過ぎていると思えるからだ。
(略)
コーチングとは、経験や実績を備えた指導者(上司)が、いかに選手(部下)を教育するか、という一方通行的なものではない。愛情を持って選手を育てようとする指導者と、必死に学んで成長しようとする意欲に満ちた選手とのハーモニーである。選手の「うまくなりたい」という向上心を喚起し、美しいハーモニーを奏でていくためには、まずその選手を十分に観察してやることが大切なのである。

p.32

チェックポイントが10あるとしよう。これをすべて身につければいいとすれば、1から順に始める人もいれば、10から初めて、9、8、7・・・1という人がいてもいい。1から5までは省略して、6から10とやる人もいれば、10から6という人もいるだろう。(略)
だが、日本のプロ野球界においては、ほとんどの指導者が1から始めて2,3,…と教えていくし、選手達もそうしたステップを踏んで身につけようとする。一般社会にも、そんな傾向はあるのではないか?
「1+1は?」という式を出せば、「2」という答えはすぐに出せる。では、「2」という答えになる式を作ってみよう。「1+1」だけではなく、「3−1」でもいいし、「1x2」でも「4÷2」でもいい。答えを「2」にできる式は無数にある。何かに取り組み、結果を出そうとするときは、何も問題から答えを出さなければいけないという決まりはない。

p.93

部下には、まず腹の中のことを全部言わせなければいけない。そうした上で、上司が一番良い方向性を提案する。それでコンセンサスを得るようにすれば、部下も納得するし、動きやすくなるだろう。上司が頭ごなしに「こういう方向で行く」と決めてしまうと、部下から総スカンを食いかねない。

p.186

自分の中で「やるべきことはやった」という実感を持ち、気持ちの整理をつけることだ。やるだけのことをやって、準備するだけのことはして、それでもダメなら、それは相手の力が上だったのだ。今度は、その相手の力に負けないために何をするかを考えればいいのである。何の準備もなく、開き直ってやれば良い結果が出るのかというと、そんなことは絶対にない。良い結果は、万全な準備があって初めて出せるものなのだ。
まずは、良い結果、すなわち自分が求めているものは何かをはっきりとさせることだ。


p.199

方向性もやり方もたくさんある。そのプロセスにおいては、余分なことも考える。私が1日を2日にする練習に取り組んだときも「こんなバカなことを考えて…」と言われたりした。だが、たとえそう言われても、自分に必要なことなら、やらなければならない。そのためには、あらゆる工夫を凝らして時間をうまく使うことだ。


p.214

人生において、学校の試験のように満点の答案を書くことはできないだろう。だからこそ人生は面白いのである。自分の道を切り開いていくためには、苦しんだり悩んだりすることも必要だ。苦しんで、苦しみ抜いて、そこでようやく答えが出て、明るい兆しが見えてくれば、それが自分の財産になる。常に頭を使って考えていれば、どんなことでも道は開けてくる。自分の探している答えは、必死になって見つけなければいけない。
ところが、口で言うほど答え探しは楽ではない。何かの壁や困難にぶち当たって、そこを切り抜ける答えが見つからないと、「これができなくても、自分はほかのことができるからいいや」と思って逃げてしまいがちだ。しかし、一度逃げてしまうと、物事をそこから先に進ませることはできない。
目の前に高い壁があったとしても、それを乗り越える方法はいくつもある。ハシゴを持ってきてもいい。壁に沿って壁がなくなるまで歩けば、回り道になるが向こう側へはたどり着ける。ダイナマイトで壁を爆破させても、地面に穴を掘ってもいいだろう。とにかく考えてアクションを起こせば先に進める。だが、そうする前に「ダメだ」と諦めて帰ってきたら、何も得るものはない。