玄田有史・曲沼美恵『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』

ニート―フリーターでもなく失業者でもなく

ニート―フリーターでもなく失業者でもなく


「ニート」という言葉は実は、この本を手に取るまで知らなかった。ニートは、「Not in Education, Employment, or Training=働くことにも学ぶことにも踏み出せない人」の頭文字。2003年には40万人もいるそうです。
もちろん、ただ無気力ということではない。結局、複合的な要素はあるのだと思いますが、教育がよくないというのはその一端ではあるのだろうと思います。この本の中では、教育の世界からの解答の一つとして、兵庫県の「トライやる・ウィーク」などが紹介されています。
ニートの人たちのインタビューも収録されています。何だか、読んでいて落ち着かないのはなぜなんだろう…。うーん、イライラするというのではないけど、何か…ね。

以下、メモ。

ニート:
Not in Education, Employment, or Training
「働くことにも学ぶことにも踏み出せない人」
2000年に17万人、2003年には40万人。


p.48

ニートの多くは、友だちとのあいだにも、先生とのあいだにも、打ち解けた人間関係を形成することが難しかった中学・高校時代の過去を持つ。


p.58
あるニートへのインタビューから

「勘違いしてほしくないんです。きちんと働く気がないわけでもないし、世の中甘くみているわけでもないし、将来に対する不安がないわけでもないんです。でも、就職、就職って、そんなに焦っていたら、みつかるものもみつからないじゃないですか」


p.62
ヤングジョブスポット(横浜)

「イベントの予定表もわざと日付をバラバラにしてあるんです。日付順に並べてしまうと、自分に必要な情報しか目に入らない。バラバラにしておけば、自分に興味のないものも自然と目に入ってくると思って」

#なるほど、これはおもしろいアイデアだ。


p.105

学校の内と外の垣根がどんどん取り除かれていくことは、いいことだ。意欲のある経営者に、ナマの声をたくさん10代に投げかけて欲しいと、思う。でもできるなら、生徒達が行儀よく話を聴いてくれる進学校だけでなく、偏差値は限りなく低い、入学者の4人に1人が中退する、講演中も私語が絶えない、そんな高校でこそ、語る意欲と度胸をみせて欲しい。ニートの多くは、そんな高校からたくさん生まれている。
ニート、そしてニートになりそうな人たちが本当に必要としているのは、職業についての知識や情報ではない。むしろ、自分が人と交わっている実感であり、交わることの緊張とそのなかでの楽しさだ。啓発教育よりは、そんな実感体験を、中学卒や高校中退を含めた多くの若者たちは、心のそこで欲している。

p.105-106

高校や大学に進学した若者だけを対象とするインターンシップの試みは、あきらかに時機を逸している。最もそれを必要としているはずの対象が抜け落ちている。
高校や大学では、遅すぎる。もっと早く本当の体験ができなければ、ニートの増加は止められない。
自分の存在意義に過大な不安を感じなくてすむような体験。他人と交わり働く自分に対するささやかな自信を実感できるような体験。そんな自信を持つためのリアルな方法を、義務教育を終えるまでの段階で、生きる知恵として身につけること。それこそが、今考えられる、ほとんど唯一のニート予防策だ。

p.116
兵庫県「トライやる・ウィーク」の企業、地域に与える影響

14歳が一週間いる地域や職場は、とにかく明るい。大人のいう「初心に戻れる」は、案外、ウソではない。もう何年も後輩が採用されない職場で、一番若い社員が、はじめての、そして一週間だけの「後輩」である14歳に優しくけれども厳しく接する姿がある。その光景を目にすれば、誰でもこの事業が本モノであることを理解するだろう。


p.137
「一週間も勉強ができないのはどうなの?」という保護者の危惧へのある子の返事:


学校で経験できないことを経験するんや。手伝わせてもらう、お願いして働かせてもらうんや。そのために先生が何度も頭を下げて僕らのために頼んでくれたんやで。授業よりよっぽど勉強になるんや。お母さん、『トライやる』のこと、ほんまにわかっとんか」


p.139

一週間で一生の目標をみつけられる14歳は、はっきりいって多くないだろう。
むしろ、14歳が一週間働く意味は、そこでやりたい仕事をみつけることではない。自分がやりたいと思ってやってみた仕事の現実に触れ、自分の持っていた希望や夢がいかに表面的な印象や理解であったかを知ることのほうが、ずっと意味がある。逆に、仕事なんて、それが自分にとってやりたいことでなかったとしても、それはそれで面白いこともあるんだと、感じられれば、もっといい。
今の社会では、夢を持つことが大切、目標を持つことが大切と、あまりに言いすぎる。やりたいことがあって、それが仕事にできれば、幸せだろう。だが、やりたいことがないからといって、それは不幸なことではない。仕事はそれがやりたいことであってもなくても、できるのだ。そこそこ、意外な面白みだってある。「なんとかなる」というささやかな自信を、14歳たちは地域や職場の大人と五日間同じ空気を吸うなかで、完全ではないけれど、しかし確実に感じとって帰ってくる。


p.265-266

自分の力の限界を知る人は、自分以外のチカラによって何かが成し遂げられる瞬間があることを知っている。偶然としかいいようがないチャンスのおかげで、自分の能力を超えて何かができてしまった感覚。あまりにタイミングのいい偶然。それによって突然、目の前が開けてしまう、そんな感覚がある。
そびえ立つカベだったり、絶妙のパスだったり。仕事のなかでは、自分のこれまで持っていた常識や能力を超えた存在に出会うだろう。その経験は自分にとって違和感だらけの異物との遭遇だ。異物に触れる恐怖から、逃げ出すことはたやすい。「自分には合わなかったのだ」と言い訳だってできる。でも、完全にマッチする仕事など、どこにもない。多かれ少なかれ、仕事はすべてミスマッチでしかない。
大事なのは、自分にとっての異物を、一度、勇気を持って引き受けてみることだ。それははっきりいって「シンドイ」。だが、運という名の追い風は、異物と真正面から向かい合う人だけに吹いてくる。