佐伯啓思・筒井清忠・中西輝政・吉田和男『優雅なる衰退の世紀』

優雅なる衰退の世紀

優雅なる衰退の世紀


4人の京大の学者さんたちが、4回の座談会を実施していて、その内容。最後の座談会がいちばんおもしろかったかな。
実は、最近エリート教育にすごい興味がある。日本が否定してしまったエリート教育。でも、欧米には厳然としてこれらはある。教育的効果、社会へのインパクト。どうなんだろう、と。考えてみたいテーマだ。

以下、メモ。

p.79

いまあるものをそのまま守るのが「保守」ではないです。それは単なる惰性であって、保守でもなんでもない。保守は、現状が、その社会が歴史的に蓄積してきたほとんど無意識の知恵や価値からして容認しがたい方向へ流されている、という批判意識から出発する。その場合、保守主義は、無意識の歴史的知恵の中にのみ、社会の秩序を保証する何かがあると考え、その何かが崩壊していると感じるわけでしょう。そこで、その無意識の歴史的知恵を呼び覚まして意識化しようとして減点回帰となる。

p.82
保守のもうひとつの側面=急進的でないということ

そのときにとりあえず頼りになるものは、安心して自分を任せられるものです。それはだいたい基本的に身近なものであって、この「慣れ親しんだもの」に対する信頼というのは、とりわけイギリス保守主義の心情の中核をなしている。逆に言えば、聞こえのいい理念や理性による大改革が生み出すものは信じない。

p.150
グローバリズムにやられやすい地域と抵抗力のある地域:
・東アジアは特に抵抗力のない地域
・文化的なレベルでいうと、韓国・台湾・東南アジア諸国・日本は簡単に侵食される
・世俗化が進んでいるところほどグローバリズム外来の文化に侵食されやすい
・宗教的な物が希薄になったところは弱い(イスラム圏は抵抗力強い)
・文明形態が多神教の場合、グローバリズムへの抵抗力が弱い

p.198

ヨーロッパのすごさというのは、人文系のものを共通のベースにして、エリート層を社会全体で育てていくシステムですね

p.201
留学がアメリカ一辺倒になる
→完全にアメリカに頭脳を押さえられるということ

p.202

中央公論』で白石隆氏が「なぜアメリカは強いのか」という問題を論じていましたが、結論をいってしまえば世界中のエリートを集めて教育して、そのエリートたちが本国に戻ると政治・経済の中枢を握るからです。

p.212

戦前のエリート層は、官僚と民間と学会とが同じ人事システムをとっていたんですね。学部を卒業して三年たつと、大蔵官僚なら税務署長、民間企業では係長、学会では助手。さらに五年目では役所、企業は課長・課長、大学では助教授。そして40代になると局長・重役・教授ということになる。(略)そこで横の繋がりがそのまま上がっていくから、エリート層の結びつきは実に緊密だった。

p.213

エリート・システムを取らないのは、日本の企業くらいなんですね。企業エリートになるために大学へ行くのに、大学を卒業してもエリート扱いされないのであれば、何のために大学へ行くのかわからない。戦前は、民間企業でもエリート・システムは普通のことだったのです。

p.233

イギリスのオックス・ブリッジでも、アメリカのハーバード、イェールでも、他の大学でも古い大学は、入門講座というのはノーベル賞をとったような碩学がやるんですね。たとえば、国際政治学入門はキッシンジャーがやるとかね。


だから、「イントロダクション」の講座には、すごい学者が名を連ねていて、学生達は18〜19歳で聴いてから専門に進む。これは、違いますよ。ものすごく大きな違いですね。