斉藤環『若者のすべて ひきこもり系VSじぶん探し系』

若者のすべて―ひきこもり系VSじぶん探し系

若者のすべて―ひきこもり系VSじぶん探し系


ブックオフでゲット。自分はどっち系かな、とか考えながら読んでたらけっこう楽しかった。以下、メモ。

帯:

わたしはどういう人ですか?

宇多田ヒカル松本人志村上春樹
→ひきこもり系

浜崎あゆみ、とんねるず、村上龍
→じぶん探し系

p.81
どっちがリアルに感じられる?:

あなたがうれしいと、わたしはうれしい。→じぶん探し系
わたしがうれしいと、あなたはうれしい。→ひきこもり系

p.167
「じぶん探し系」
全員が携帯を所持し、100人以上の名前を登録し、連日のように連絡を取り合って生活している。一人では過ごせず、友人とともに居るときだけ自分らしく感じられる。携帯の普及は、彼らを接続するインターフェイスとして、最も重要。

「ひきこもり系」
携帯を嫌う、積極的には利用しない。

p.167
ケータイ:
リアルタイム性で評価するなら、携帯電話ほど「いまここ」を効率よく共有できるメディアは存在しない。=究極のメディア

インターネット:
インターネットにおいては、「リアルタイム」は存在しない。事実上リアルタイムであっても、われわれがそれを眺める視線は、過去に向けられたそれと同じである。

p.169

この世代の新しい形のコミュニケーションがどのような成熟を迎えるのかを見守ってみたい。個人的には、思春期事例に携帯を持たせることの可否について明確な指針を持つことができた点が収穫だった。もはや迷う必要はない。それは「持たせてもよい」のではなく、持たなければ生存に関わるほどの、「技術」のひとつなのだから。