「復讐」のモデル化

GOING MY WAYで紹介をされていたnewsgaming.comでできるSeptember 12thというゲームを見て、ちょっと考えた。

このゲームは、テロリストのいる町を空爆するストーリー。町にミサイルを撃ち込み、テロリストを殺していく。一般市民が巻き込まれたり、市場や建物が壊れると、一般市民が悲しみ、怒り、テロリストとなっていく(子どもでさえも!)。
教室で子どもたちに見せてみた。「ゲームをやってみる?」と誘い、そこからいろいろ考えてもらった。


「すごいな、これ。テロリストだけなんて撃てないよー。」そうだよね、それがゲリラ戦ということだ。もう銃後とかないからね。最近の戦争では。
「しかも、テロリストってこういうふうに同じ服着てるわけじゃないから、見分けるのなんて不可能じゃん!」そうです。「ってことは、こんな空爆できっこないってこと?」そうですね。
こういう感想が、出てくるのも子どもならではなのかな。いろいろなことをこのゲームからも感じたようでした。

しばらくプレイを続けていると、明らかに画面の様子が変わってくる。そう、テロリストの数がすっごい増えたのだ。こうして泥沼化していくのね・・・。と子どもたちへの説明を終わった。

しばらくゲームから離れて本筋の話をしていると、画面ではまだピコピコ音がしている。
しばらく経って画面を見てみると、町はもとに戻り、怒りに駆られていたテロリストたちのいくらか(全部ではないけど)が、一般市民に戻っていくのが見えた。

なるほど、やっぱり来るってしまった社会が元に戻るのには時間がかかるものなのだ。でも、元に戻れるのだ。シミュレーション、モデル化、こういったものが子どもたちに何を考えさせるのか、どういうふうに考えさせようと教師が導くのか、それが大事なのだということを痛感。