平田オリザ『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)


非常におもしろかった。国語教育の中に、演劇的なものを取り込んで、そこに社会的背景とかを乗っけて…っていうのはおもしろそうだ。やってみたいな。フィンランド・メソッドの中でも、こうした内容は取り入れられているんだって。
どの先生でも、この平田さんのメソッドを使えるのだろうか、という点は懸念としてはあるけれど、こうしたメソッドが広がっていけばいいなあ、と思う。

p.59-60「
私は初等教育段階では、「国語」を完全に解体し、「表現」という科目と「ことば」という科目に分けることを提唱してきた。
「表現」には、演劇、音楽、図工はもとより、国語の作文やスピーチ、現在は体育に押しやられているダンスなどを含める。10歳くらいまでの子どもにとって、このような科目の分け方はほとんど意味がない。
(略)
「ことば」科では、文法や発音・発声をきちんと教える。現在、日本は先進国の中で、ほとんど唯一、発音・発声をきちんと教えていない国となっている。国の開き方や舌のポジションをしっかりと教えていくことが、話し言葉の教育の基礎となる。
初等教育の課程では、この「ことば」科の中に、英語や、地域の実情に応じて、韓国語や中国語を入れていけばいい。そうすれば、子どもたちは日本語をもう少し相対的に眺めることができるようになるだろう。」

p.110「
この「冗長率」という考え方を導入すると、これまでの国語教育、コミュニケーション教育の問題点がより明瞭になる。
日本の国語教育は、この冗長率について、低くする方向だけを教えてきたのではなかったか。「きちんと喋れ」「論理的に喋れ」「無駄なことは言うな」…だが、本当に必要な言語運用能力とは、冗長率を低くすることではなく、それを操作する力なのではないか。
だとすれば、国語教育において、本当に今後、「話す・聞く」の分野に力を入れていこうとするならば、少なくともスピーチやディベートばかりを教え冗長率を低くする方向にだけ導いてきたこれまでの教育方針は、大きな転換を迫られるべきだろう。」

p.159-160
「旅行ですか?」というセリフを演劇でする:

  • 話しかける人がアイルランド人なら、これはまったく普通の行為。
  • 日本人は一割しか話しかけない。だから、もし「旅行ですか?」という台詞を言うならば、ちょっと積極的な人、あるいは少し図々しいくらいの人といった心構えで役作りをしないと不自然になってしまう。
  • イギリス人の上流階級の男性という設定ならば、人から紹介されない限り他人と話し手はいけないというマナーがあるので、通常は話しかけない。もし、この階級の人が自分から「旅行ですか?」と言ったとすれば、考えられるのは、何らかの事情で正当な教育を受けていない、帰属の階級を捨てて放浪のたびに出ていて、下層階級の者がやるように話しかけた、マナーを破ってまで話しかけるほど、相手に関心をいだいている、など。

p.211-213
日本の教育界にショックを与えた「落書き問題」
ネット上に、「学校の壁に落書きが多くて困っている」という投書があった。一方で、「いや落書きも、一つの表現ではないか。世の中にはもっと醜悪な看板が資本のチカラ出乱立しているではないか」という投書があった。
「さて、どうでしょう?」という設問:

何を訊かれているのかさえわからない子どもたちが多い。
正解はたくさんある。コンテクストによるから。

p.213-215
フィンランド・メソッドでの国語教科書の最後は、演劇的な手法を使ったまとめになっていることが多い。
「今日読んだ物語の先を考えて人形劇にしてみましょう」
「今日読んだ小説の、一番面白かったところを劇にしてみましょう」
「今日のディスカッションを参考にして、ラジオドラマを作ってみましょう」

「ヨーロッパの国語教育の主流は、インプット=感じ方は、人それぞれでいいというものだ。文化や宗教が違えば、感じ方は様々になる。(略)
しかし、多文化共生社会では、そういったバラバラな個性を持った人間が、全員で社会を構成していかなければならない。だからアウトプットは、一定時間内に何らかのものを出しなさいというのが、フィンランド・メソッドの根底にある思想だ。
これは現行の日本の国語教育と正反対の構図になっていることがわかるだろう。私たちは、「この作者の言いたいことは何ですか?50字以内で答えなさい」といった形でインプットを狭く強制され、一方でアウトプットは個人の自由だということで作文やスピーチでお茶を濁してきた。しかし、現実社会は、どちらに近いだろうか。アウトプットがバラバラでいいなどという会社があったら、即刻潰れてしまうだろう。しかし、どの企業も多様な意見や提案を必要としている。問題は、その多様な意見を、どのようにまとめていくかだ。」

p.215「
OECDPISA調査を通じて求めている能力は、こういった文化を越えた調整能力なのだ。これを一般に「グローバル・コミュニケーション・スキル(異文化理解能力)」と呼び、その中でも重視されるのが、集団における「合意形成能力」あるいはそれ以前の「人間関係形成能力」である。」

p.226-227
「みんなちがって、たいへんだ」ということから、目を背けてはならない。

佐伯啓思『経済学の犯罪 稀少性の経済から過剰性の経済へ』

経済学の犯罪 稀少性の経済から過剰性の経済へ (講談社現代新書)

経済学の犯罪 稀少性の経済から過剰性の経済へ (講談社現代新書)


佐伯啓思さんは、学生の頃に本当によく読んだ人。正統派な経済学者(というのがどういうのかわかんないけど…)ではなく、そこに思想が入っているなあ、と思っていた人でした。経済学に疑問を呈しつつ、前提に何を考えるべきか/考えないべきか、みたいなのが読めておもしろかった。

p.90-91
この20年ほどのグローバリゼーションにおける、勝者はアメリカ、中国、ロシア、インド、ブラジルなど。その理由は「国家(ステイト)」が強力であること。政治的指導者や指導層に集中された権力と政府の行政力が強力であること。

その強力な「国家の意思」によって、それぞれの国がそれぞれの国の特異な生産要素を戦略的に利用した、ということ:
中国→安価で豊富な「労働」という生産要素
ロシア→「資源」という生産要素
インド→英語や数学的能力にアドバンテージを持った知的層
ブラジル→「資源」という生産要素
アメリカ→ドル通貨の「資本」という生産要素
韓国→ナショナリズムという国民的結束と学歴エリートという「人的資源」を戦略的に作り出した

これらの国々は、アドバンテージを最大限生かすべき戦略を実行した。ここに強力な「国家の意思」があった。
「問題は透明で公正な市場経済を実現したかどうかではない。強力な国家を持ちうるかどうかなのである。グローバル市場が形成されるなか、市場や資源をめぐる激しい競争が生じる。そのさい、競争を自国に有利に誘導しうる戦略を持てる政府が存在するかどうかこそがポイントになってくるのである。」

p.102-104
市場経済の基本命題:
自由な競争的市場こそは効率的な資源配分を実現し、可能な限り人々の物的幸福を増大することができる。

この命題が成り立つためには、

  1. 人々が合理的に行動すること
  2. 経済活動の目的が物的満足であり、「実体経済」が経済の本質であり、貨幣はその補助的手段でしかないこと
  3. 人々の欲望も消費意欲も無限であり、資源が有限であることから、稀少資源をどう効率的に配分するかが経済の問題になる

しかし、この3つの前提はもう正しくないのではないか?以下の方が正しかろう:

  • 人々は常に不確定な状況の中で行動していて、合理的行動を本質的には定義し得ない
  • 貨幣は補助的な手段ではなく、人の生活を支える独自の価値を持ったもの。ときには貨幣そのものが人の欲望をかきたてる
  • 人間の欲望は社会のなかで他者との関係において作られる。それはあらかじめ無限なのではない。経済の問題は「稀少性の解決」へ向けた問題ではなく、「過剰性の処理」へ向けた問題になるのではないか

p.178-179
リスト(『経済学の国民的体系』岩波書店)による議論:
「自由競争の結果として市場が均衡することよりも、「生産諸力の均衡」が優先されるべきである。しかも彼にとっては、生産諸力を高めるものは、ただ物的な資源だけではなく、道徳性、宗教心、知識の増大、政治的自由、生命財産の安全確保、国民の独立などでもあった。ここに「国民」をことさら持ち出す意味もある。要するに、「国力」とは、諸産業のバランス、国民の道徳心、精神的気風など、その国の「総合力」なのである。
これからわかるように、リストにとっては、自由競争にたつグローバル市場などというものは何の国民的基盤をも持たない誤った「世界主義」にほかならなかった。
だから世界主義という理想主義の外観に惑わされてはならない。実は、スミスの自由市場論はただの誤った「世界主義」というだけではない。それは、普遍的原理どころか、イギリスの国富の増進を目指した「政治経済学」でもあった。そこに古典的自由貿易主義の隠されたイデオロギー性もあったのである。」

p.181-182「
「強い政府」と「大きな政府」とはまったく違っている。「大きな政府」を「小さな政府」に変更するためにも「強い政府」が必要とされるのである。」

p.311-312「
エマニュエル・トッドは、「民主主義」と「グローバル経済」は両立しえないと主張しているが、これはまったく正しい。さらに踏み込んで彼は、大衆の不満は、民主政治のなかからやがて独裁を生み出し、民主主義が停止されるだろう、と述べているが、これはかなりの蓋然性を持っている(『デモクラシー以後』)
もちろんそのことをトッドは歓迎しているのではなく、警鐘を鳴らしているのだ。だから、民主政治を守るために、グローバル経済のレベルを落とすべきことを主張するのである。
私は、このトッドの見解にほぼ全面的に賛同する。グローバル経済のレベルを落とすということは、各国の社会構造、文化、経済システムの多様性を認め、それぞれの国がその国の国内事情に配慮した政策運営を採用できる余地を増やすことである。自由主義者やグローバリストの嫌う言葉をあえて使えば、戦略的に「内向き」になることである。
「内向き」になることは、「鎖国」でもなければ「閉国」でもない。そもそも「外に開く」か「内に閉ざすか」などという二者択一はまったく無意味なのだ。いまだにそのような議論をする人が多いのは困ったものであるが、「内向き」とは、国内の生産基盤を安定させ、雇用を確保し、内需を拡大し、資源エネルギー・食料の自給率を引き上げ、国際的な投機的金融に翻弄されないような金融構造を作ることである。端的にいえば、「ネーション・エコノミー」を強化することにつきるのであって、スミスやケインズの考えの伝統に立ち戻ることなのである。私には、これこそが本来の意味での「自由主義」だと思われる。
今日の不安定な世界経済を見た場合、将来の方向性としては三つの選択肢があるだろう。第一は、メガコンペティションを動力とするグローバル化をいっそうおし進めること。第二は、世界的な経済管理機構を創出すること。第三は、グローバル化や自由競争のレベルを落とし、各国におけるそれぞれの国内経済の安定化政策を可能ならしめること。
今日の世界経済の不安定性をもたらしているものが過度の競争主義に立つグローバル資本主義だとすれば、第一をとることには意味がなく、第二は今日の政治状況のもとでは難しいとすれば、方向は第三しかない。「ネーション・エコノミー」の強化とその多様性の共存しかないはずであろう。これはほとんど自明のことのように私には思われる。」

上田信行×中原淳『プレイフル・ラーニング』

プレイフル・ラーニング

プレイフル・ラーニング


「プレイフル」という言葉にまつわるいろんな勉強を今年はしようと思っています。とても勉強になりました。以下、メモ。

p.12
「学び」や「教育」の言説空間において、ここ数十年で起こった変化を3つのワードで:
「オルタナティブ」「インタラクティブ」「アマチュア」

教育の非専門家(アマチュア)が、自分の専門性や経験をもとに、既存の(学校)教育ではない、“オルタナティブな学びの場”を組織するようになってきた。そこに志や興味関心を同じくする人々が集い、双方向(インタラクティブ)のコミュニケーションを取りつつ、学ぶようになってきた、ということ

p.32
授業のLWPモデル:
「授業のデザインの仕方も、最先端でした。まず、ゲストとして招かれた一流の先生から午前中にレクチャーを受けるという要素があります。そして、そのレクチャーをベースにして、自分たちで何かつくり上げるワークショップが午後(真ん中)にあります。真ん中にワークショップがあるっていうのは良くできていて、レクチャーを聞く時も、その後のワークショップのネタとして聞くので、聞いたことをすぐにその日の作業に入れ込めるのです。そして、夜のパーティでは、ゲストの方達と個人的に話ができます。日本の一般的な講演会では、著名な先生の話を聞いたあとに、なかなか気軽に話しかけることはできませんが、夜のパーティでは話ができるだけでなく、友達にだってなれるのです。そして、そのパーティこそが、リフレクションになっていたわけです。レクチャーで講師の話を聞いて、ワークショップで自分たちの手を動かしてやってみて、最後はパーティで講師や仲間と対話しながら1日を振り返る。」

p.36「
イリノイ大学のロバート・ステイクは、シェフが厨房でスープの味見をすることが形成的評価(formative evaluation)で、お客さんが実際にスープを飲んで評価するのが総括的評価(summative evaluation)だと書いているのですが、まさにそんな感じです。シェフは味見をしたあと、塩を足したりして、お客さんに出す前に味を改善します。それが形成的評価なのだと言っていますが、まさにそんな感じです。
特に、セサミストリートの番組制作を行う「チルドレンズ・テレビジョン・ワークショップ(CTW)」では、研究者が番組制作チームに入り込むことで、常に番組の内容の形成的評価を行い、現場で改善を加えながら開発していくことができたことが、成功を導いた大きな要因となっています。」

p.50
ADDIEモデル
A: Analysis(分析)
D: Design(設計)
D: Develoment(開発)
I: Implementation(実施)
E: Evaluation(評価)
※教え方のPDCAのようなもの。

p.59-60「
パパートは数学と人工知能のアカデミックバックグランドをもつ研究者です。彼は、「子どもが知識を構成する、つまり、理解したり意味を解釈したりするのは、どんな時か」と考えました。パパートは「知識の構成」と「具体物の構成(construction)」を重ね合わせて考え、「子どもは具体的なものづくりを通して、知識を構成する」という論を発展させました。「アイデアは獲得するものではない、つくるものである(Children don't get ideas; they make ideas.)」というパパートの言葉がありますが、知識(idea)というのは得る(get)ものではなく、つくる(make)ものだと考えたのです。例えば、子どもは円について教えられるのではなく、円を描くことで、円とは何かについて学ぶことができる。円を描きながら円というものの定義や解釈をつくっていく、というわけです。」

構築主義 constructionism
=つくって学ぶ learning by making

p.64「
パパートの思想には大きく影響を受けました。彼の「環境をつくる」という考え方に感銘を受けたのです。僕の記憶では「学習環境」という言葉を初めて聞いたのはパパートからだったように思います。彼はMITで「学習環境(learning environment)」という講義を始めました。僕は、その言葉を目にした時、ガーンと雷に打たれたようになり、「学習環境、これこそ僕がやりたかったことだ!」と感じました。今まで日本でやってきたような授業デザイン(instructional design)の研究から学習環境デザイン(designing earning environments, learning design または constructional design)に僕の関心がシフトした瞬間です。」

p.68-69「
ドゥエックは子どもの無力感もこれと同じメカニズムなのではないかと考えました。やる気のない子どもは、「回避しようとしない犬」と同様、「努力しても、この状況は変わらない。自分には無理だ、どうせやっても無駄だ」と最初から諦めてしまっているのではないかと。
では、子どもがそんな風に考えてしまう原因は何でしょうか。ドゥエックはその背景に「頭の良さというものは固定的なもので変わることがない=固定的知能観(entity theory of intelligence)」というセオリー(考え方)があるのではないかと考えました。「たとえ新しい知識は獲得できても、頭の良さ(知能)そのものは変わらない、賢さは生来決まっているものだ」と。」

こうした子どもは、成績が良い時はいいが、成績が落ちると、たちまち無力感に陥ってしまう。

一方、「知能というものは、勉強すればするほど伸びる。成長する。賢さは獲得できるものだ=成長的知能観(incremental theory of intelligence)」というセオリーを持っている子どもは、「自分はもっと賢くなりたい」と考え、他人からどう見られるかを気にすることはあまりありません。だから、失敗を恐れず、知らないことは恥ずかしがらずに尋ねることができます。大切なのは自分がより賢くなることであり、学ぶことそのものが目的になる(learning goal)というわけです。

p.77
キャロル・ドゥエック:
「動機論」と「認知論」を結びつけ、認知的動機づけ理論を唱えた。やる気は、自分が持っている事故イメージや知能観、つまりセルフセオリーが大きく影響する、と考えた。

p.82-83「
ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」というのは、その人が持っているポテンシャル(知的発達の可能性)であり、そのことを自分で意識しながら他者と協働すれば、自分の可能性はどんどん広がっていくのではないでしょうか。そこで僕はヴィゴツキーのアイデアを発展させて「憧れの再近接領域」という考え方をつくりました。「あなたがいるから頑張れる」「君と一緒だからもっと上を目指せる」。他者の存在が自分の可能性を広げていく、そうした希望を込めて、僕はこう呼んだのです。」

p.98
ヴィゴツキーの理論「発達の最近説領域」:
「1人でできるようになること」と、「誰かの助けによってできるようになること」という、発達における2つの段階の差、距離のことを「発達の最近接領域」と呼び、そこは他者との相互作用によって発達しうるセンシティブなゾーン(領域)なのだ、という考え方。

p.119
プレイフル・ラーニングのコンセプト:
L: Learning 学び
LL: Learning Learning 学びについて学ぶ=リフレクション(省察)
LLL: Learning (Learning Learning) 学びについて学んだことをもう一度学ぶ=意味づけ

p.158
神戸芸術工科大学 大学院 芸術工学研究科 准教授 曽和具之

p.183 上田先生「
「学ぶこと」は、「変わること」であり、「変えること」です。「読むことは、あなたの世界を広げる。でももし、あなたが書くことができれば世界を変えられる」というような意味のことを言ったパウロ・フレイレ(Paulo Freire 1921-1997)は、すごいと思います。アウトプットしてはじめて世界が変わる。インプットでは世界は変わらない。自分の中だけは変わるかもしれないけれど世界は変わらないですよ。でも、何かしゃべれば、発信すれば世の中は変わっていくかもしれない、風向きが変わる。世の中に影響を与えることができるんです。これは民博の梅棹先生がおっしゃったことなのですが、学校の教育はchargeだ、だけど文化創造の実践はdischargeなんだと。」

ダレル・ハモンド『カブーム!100万人が熱狂したコミュニティ再生プロジェクト』

カブーム!――100万人が熱狂したコミュニティ再生プロジェクト

カブーム!――100万人が熱狂したコミュニティ再生プロジェクト


以前からずっと気になっていた、カブーム!の本を読了。コミュニティに遊び場、講演を作っていくという活動をしています。「遊び」「プレイフル」というところのキーワードを探っていけば、必ず出てくる存在ですね。
以下、メモ。

p.164-165
このところ、多くの科学者たちが遊びが子どもの発達にどう役立つのかを調べている。

遊びといってもその意味がさまざまにある。
「あきらかに意味のない行為」
「基本的な必要性が満たされたあとに残ったエネルギーの産物」
目的がないときにする行為

特徴を書き連ねることが、いちばんの定義になるだろう:
・きまった枠組みのないもの
・子どもが自由に選ぶ行為
・自ら主導し、自分がその気になって行うこと
・活動的に没頭でき、切り拓いていくもの

科学者たちは、しだいに研究を進めてきた
例)
精神病理学者 スチュアート・ブラウンは、カリフォルニア州カーメルバレーに「全米遊び研究所(National Institute For Play)」という組織を設立し、さまざまな学術研究の点と点を結んで体系的な証拠を集め、遊びの大切さを解き明かそうと試みています。
そのほかにも、「子ども同盟」と「遊び研究協会」という2つの組織が同じ目的を追いかけている。

p.166-167「
ひとつの仮説は、子供たちは遊びを通して世界について学び、その中に自分の役割を見つける準備をする、というものです。19世紀のドイツ人教育者、フレデリック・フローベルは、現在もこの分野でもっとも影響力のある思想家ですが、彼はこう表現しています。「遊びは子供の仕事だ」と。そうやって、子供たちは大人になる準備をするのです。」
人類がこの地球上に存在してきた年月の大半は、学校も、標準テストも、組織的な教育も、教室も、大学受験の予備校もありませんでした。印刷された書籍でさえ、比較的最近になって発明されたもので、およそ600年しか存在しておらず、20万年という人類の歴史には及ぶべくもありません。その歴史のほとんどの間、子供たちは遊びを通して社会の働きを学んできました。
男の子が棒切れを拾ってやりに見立てるのは、ハンターへの第一歩でした。今の子供たちは、積み木を耳に当てて携帯電話のふりをしますが、それも同じです。子供たちは、世界の中でどう生きるかを学ぶために、大人のやることを真似ているのです。
あらゆる遊びについて同じことが言えます――子供の遊びは、失敗してもそれほど害のない、人生の予行演習なのです。若い動物の遊びが、成長後の行動と関係しているように、子供にとって、遊びは現実を試してみること、つまりセーフティーネットに守られながら世界を探求する方法です。それが、広い意味で、男の子と女の子の遊び方が違う理由ともいえるでしょう。もちろん例外はたくさんありますが、一般的に男の子は転げまわったり取っ組みあったり、ボールやほかの道具で遊んだりします――祖先が狩猟に使った技術を練習しているのです。反対に、女の子は言語や儀式を通して人と関わる、より社会的な遊びをします。」

p.169-170「
遊び方を通して、子供たちは危険を経験し、身体動作の及ぼす影響を知ります。遊びの中で身体的な限界を試しながら(ブランコをもっと高く!メリーゴーランドをもっと速く!)、危険を知り、行動が招く結果を自覚するのです。大人になれば、さまざまな種類のリスクが存在します――健康、お金、感情。私たちは、当然ながら、子供たちをこうしたリスクから守ろうとしますが、必要以上に危険を和らげたり、取り除いたりしている場合もあるようです。ですが、危険な状況にうまくたいしょすることによって、子供たちは学びます。経験から、どういうときに怪我をするのか覚えるのです。「雲梯の次の棒に手が届けば安全だけど、届かなければ落ちてしまう。」
実際、落ちることが発達過程の一部だとも言えます。傷ついてはじめて、回復力が生まれ、気持ちを立て直してまた挑戦することを学ぶのです(二度とやらないというのではなく)。過度に用心深い親なら、子供が膝をすりむかないように、またちょっとした怪我や不自由がないように、目を配るかもしれません。ですが、その子供は大人になったとき壁にぶつかるはずです。大人になれば、もっと大きなものに立ち向かわなければならず、粘り強さがなにより大切になるからです。」

p.172「
実のところ、遊びの学習効果の一番に挙げられるのは、社交性です。こんなフレーズのついたTシャツを見たことがありませんか?「お友達と仲良く遊びましょう」。皮肉はさておき、これは大人になると、とても重要なことです。人間は、社会的な生き物です。子供たちがこれをはじめて自覚するのが、遊び場です。ここで、協力することや競争することを学び、共有し、順番に従い、間違った振る舞いをしたらどうなるのかを学びます。身を持って衝突を経験し、紛争を解決するのです。順番を守り、公平に遊ぶことを練習し、そうしないときの結果に直面するのです。
こうしたことの大半は、もしかすると、両親や先生やほかの大人が教えてくれることなのかもしれません。ですが、子供が自分でそれを見つけた方が、教訓が長く残りますし、遊び場の掟は、こうした人付き合いの教訓を繰り返し自覚させてくれます。」

p.200「
キールでの仕事(ブッシュ夫人が参加した、あのプロジェクト)のあと、校長先生から手紙をいただきました。「この地域の心理学者が、私たちの学区の子供たちを調査したところ、大人にしか見られないようなこと、たとえば自殺や殺人やその他の暴力といった悲惨な状態が見られると報告していました。ですが一方で、このノースセントラル小学校の子供たちにそれが見られないこと、しかもその主な理由が遊び場のおかげであること――安全に遊ぶ場所があること、なんらかの新しい楽しみがあること、そしてただ子供になれる機会があること――が報告されていました」」

p.210-211「
「コンクリートミキサーを使えばいいのに」とよく言われます。家庭用のコンクリートミキサーがあれば、スイッチを入れ、原料を加えるだけで、完璧な混ざり具合のコンクリートが出てきます。ですが、コンクリートミキサーを使わないのは、それでは同じ経験が得られないからです。単に遊び場を作ることが目的ではなく、地域を良くするために知らない人同士が手を取り合って懸命に働き、形のあるプロジェクトをやり遂げることが大切なのです。なにも問題がなく、汚れ仕事もせず、仲間と肩寄せあって汗をかくこともなく、少しばかり苦労することもなければ、この経験が単なる「取引」になってしまいます。カブームの遊び場作りは、機械に頼らず人間が力を合わせてできることを体験できるからこそ、特別なのです。」

p.212-213
カブームの基本哲学:
1.共通の目標を掲げて人々を集わせる
2.成功体験を重ねる
3.勇気を連鎖させていく

これがカブーム流の変化の法則

p.266
imagination playground set
(カブームが、「スポンジ部品」のコンセプトを実現するために、デビッド・ロックウェルの設計事務所と協力をして商品化)
http://kaboom.org/about_kaboom/programs/imagination_playground
http://www.imaginationplayground.com/

p.302-303
カブームでの採用の5つの基準:

  • 「できる」…その人はその仕事ができますか?つまり、能力とスキルをもっていますか?
  • 「やる」…必要なことを、必要なときにやる人間でしょうか?
  • 「チームとの相性」…とことん楽しむカブームの文化に合うでしょうか?カブームは多様な人々の集まりです。結果を出すために、全員が集中して頭を低くして働き、また顔を上げて楽しみます。
  • 「超賢い」…その人には知恵とやる気がありますか?自分が善いことをしているかどうかがわかる能力と、自分を鞭打って行動に駆り立てる能力がありますか?
  • 「超速い」…その人は、選挙戦のような環境の中で働く心構えと原動力がありますか?カブームのスタッフは、明確な目標に向けて必死に努力し、フィードバックをすぐに集めて成功かどうかを判断し、次にどこを変えたらいいかを探し出し、それを記録に残し、次に移ります。

p.373
YouTubeでカブームのプロジェクトは見られる。
#要チェック!

p.380-383
ブーマリズム:ブーマー(カブームのスタッフ)の仕事の基礎となる哲学

  • 結果と同じくらい、プロセスが重要
  • 後悔しない
  • 周囲を責めず、自分を高める
  • 多くを約束せず、言った以上のことを成し遂げる
  • 最高のものが求められるとき、平均点で満足しない
  • 名前を挙げて、褒めるべき人を褒める
  • いつもの仕事を、いつもとは違うやり方で行う
  • 良いアイデアも実行しなければ意味がない
  • 火を起こすには、火花が一度散ればいい
  • 練習は完璧を生まない。完璧な練習が完璧を生む
  • 自分の能力を出し切らないとき、それを失敗という。だれかが自分よあり成果をあげたとき、競争に敗れたことになる。
  • 論理と事実を使って相手を説得し、ストーリーを語ってやる気にさせる

p.349-379
カブームが遊び場を建てるまで:

  1. 資金提供パートナーを募る(6ヶ月前)
  2. コミュニティ・パートナーを募る(4ヶ月前)
  3. デザインの日(3ヶ月前)
  4. 現場の準備(2日前)
  5. 建設の日!(当日)

北岡伸一『官僚制としての日本陸軍』

官僚制としての日本陸軍

官僚制としての日本陸軍


吉田茂絡みの本を追いかけているうちに、政治全体の動きが気になり始めて、統帥権やら現役武官制度に興味が出てきて、読んでみた。読んでみて思うのは、じゃあ軍人が内閣に入ってどんだけひどかったか、っていうのをみてみると、意外とそうとばかりも言えないというところ。ちゃんと勉強してみないとわからないことはたくさんあるね(当たり前だけど)
以下、メモ。

p.20「
政党による統合にとってもっとも難しいのは軍の存在であった。天皇親政の理念によって、軍は天皇に直結する(つまり内閣に従わない)ことを正当化することができたからである。
それゆえ政党内閣にとっては、軍が政党に対して協調的であることが必要不可欠であった。実際、1920年代の軍は政党に対してかなり協調的だった。
1919(大正8)年、原内閣のもとで陸軍軍拡と海軍軍拡の両立が困難になったとき、田中義一陸相は、軍艦には艦齢というものがあって、それに応じた建艦が必要である、したがって陸軍軍拡は一時あとに回して構わない、と海軍に一歩を譲ったことがある。これは軍指導者におけるステイツマンシップと呼ぶべきものであるが、こうした態度が暗黙のうちに期待されていたのである。

p.52「
統帥権の意味が日本とヨーロッパでは逆であることに注意しておきたい。皇帝が統帥権を持つことはとくに珍しいことではない。ヨーロッパでは、フリードリッヒ大王がそうであったように、皇帝の理想は卓越した軍事指導者であることにあった。皇帝の権力が議会によって制約され、削られ、最後に残ったのが軍事と外交の大権であった。
日本では、その順序が逆であった。素人たる天皇が軍事大権を揮うことは、軍人から見れば著しく危険であった。こうして統帥権は、素人がみだりに発言したり、あるいは藩閥政治家が古い軍事知識から干渉しようとすることに対して、近代的な軍を守ろうとする性格を持つものであった。そうした成立の経緯は、日本の統帥権に、政治介入に対する積極的な排除の姿勢を痕跡として残すことになる。

p.88「
かつて明治維新は、実力のあるものが責任のある地位に上るという点で画期的な変革であった。西郷・大久保のような下級武士の実力者がやがて薩摩を動かすことになり、さらに参議となり、そして伊藤が首相となったのであった。昭和に起こったのはその反対で、実力者は下にいて、名目的な指導者をいただく体制となった。責任政治は崩壊したのである。
一見大きな力を揮ったようでいながら、陸軍の現役の将官は、1916(大正5)年に首相となった寺内正毅以来、東條英機まで一人も首相となっていない。その間に軍人で首相となったのは、林銑十郎、阿部信行、それに海軍の米内光政の三人であったが、それはいずれも軍の膨張を抑制する側の内閣であった。これに対し、文官として組閣した広田弘毅、そして二度の近衛文麿の内閣の方が、はるかに陸軍に協力的であった。
陸軍が間接的・合法的存在にとどまったのは、陸軍の自制でも余裕でもなく、弱さの現われであった。総力戦の時代には、統帥権の独立が時代遅れであることも明らかであった。しかし統帥権の独立を克服する方法がなかった。

p.92-93 「
日本の平和主義は、より正確には非軍事主義であった。しかし第一に、非軍事主義だけでは平和は守れない。第二に非軍事的行動も、たとえば多国籍軍への資金支出のように、軍事的効果を持つ。要するに、非軍事主義はそのまま平和と結び付くものではないのである。しかも、われわれの目指すものが本当の平和主義ならば、それは日本の平和だけでなく、世界の平和を目指すものでなければならないだろう。そのためには、逆説的だが、厳格な非軍事主義では駄目なのである。より現実的で有効な平和のために、日本に何ができるか。これを考えるためには、軍事の問題を避けて通ることはできないのである。その意味で、明治以来の政軍関係の歴史は、単純に否定してしまうのではなく、なお内在的に学び、考察すべきテーマのように思われる。

おおたとしまさ『中学受験 名門中学の子どもたちは学校で何を学んでいるのか』

中学受験 名門中学の子どもたちは学校で何を学んでいるのか

中学受験 名門中学の子どもたちは学校で何を学んでいるのか


麻布、海城、巣鴨、筑波大学附属駒場桐朋、浅野、聖光学院豊島岡女子学園甲陽学院東大寺学園西大和学園ラ・サールと、そうそうたるラインナップだな…。ふつう、学校っていうのは自分が行っていたところ、自分の子どもが行くところ、くらいしかわからない。だから、こうしていろいろな学校の授業をレポートしてもらえるのっていいな、と思います。それに、学校の先生方にも、「あの学校はこんなことやってるのかあ」とか「あ、このアイデアいいな」とか、刺激をもらって、授業をブラッシュアップすることができるのではないかな、と思います。
たくさん、いろんな学びがありました。以下、メモ。

p.24 麻布中学校・高等学校「
「高校受験がないので、1点2点を争うような意識はありません。テストのために需要事項を覚えることは必要ですが、暗記はいつでもできる。中1のうちに、それ以上に磨いてほしいのは『書くセンス』と『まとめる力』」と村本先生。

p.26-27 麻布中学校・高等学校「
2010年度「考える葦」の「はしがき」には教員による以下のようなコメントがある。「福島の原発事故はいまだ余談を許さぬ状況にあります。(中略)わが国の政府や事業者の情報公開・伝達には、わが国のひとびとのみならず、世界中からも大きな不信感を持たれてしまっています。残念ながらその一因には、自らの考えを的確に伝達するための訓練が十分に行われてきたとはいえないわが国の教育があるのかもしれません。しかし、我田引水のそしりを恐れずに言えば、麻布にはさまざまな機会をとおして書くことを重視してきた伝統があります。それはひとえに他者にたいして、世界にたいして自らの考えを、説得力を持って正確に伝達してゆく能力が欠かせないと考えるからです」。

p.28-29 麻布中学校・高等学校「
教科書選択の際には、「足し算の指導か、引き算の指導か」が論点になった。
「足し算の指導」とは、有り余る素材を与えておき、「こことここをやっておけば大丈夫」とポイントを指し示す指導法だ。
足し算の指導を追求するのであれば通常の公立中学校と同じ検定教科書を使用するという選択肢もあり得たというが、教員によって履修範囲があまりに変わる可能性があるのはよろしくないとの意見から、どちらかといえば学習量の多い「バードランド」を選択することになった。しかし、滝田先生は「麻布の教育は引き算の指導になってしまってはいけないと思う」と力説する。
「たくさんの課題を与えて、『これがぜんぶできれば大丈夫』という発想で指導すると、生徒は与えられたものをひたすらに消化するだけの受け身の学習姿勢になってしまう。麻布生にはそうなってほしくはない。最低限の材料は与えるが、後は自分に必要なものを自分で考えて手に入れる学習姿勢を身につけてほしい」というのだ。
だから、「バードランド」も隅から隅まで、無理にすべてを授業中にこなそうとはしない。要点を押さえ、あとは生徒のやる気に任せる指導が基本だ。

p.35-37 麻布中学校・高等学校
夏休みの宿題およびユニークな課題:
「仮想旅行記」(「世界」の授業で課される)
中1の夏休みの名物宿題。行ったことのない国や地域へ、あたかも実際に行ったかのような紀行文を書く。

p.108 巣鴨中学校・高等学校
国語では、毎週書き写しの宿題が出る。新聞などから良文を抜き出し、それを一字一句そのまま原稿用紙に書き写すのだ。多様な言葉遣いを身につける狙いとともに、注意深さを養い、テストでの点数の取りこぼしをなくす目的もある。土曜日に出題し、月曜日の朝に提出させる。
「この宿題では完璧を求めます。点や棒が1つ抜けただけでも×にします。採点する教員も一字一句、目を皿にして採点しなければいけないから大変です。とても国語の担当教員だけで全クラスの生徒の採点はできないので、この宿題の採点に関してはクラス担任が担当することになっています」と梅津先生。
漢字に書き写し。あえて基礎的な力に重きを置いているのだ。「国語力に関しては甘さが見られる生徒が多い。私は今年9年ぶりに中1を担当することになったのですが、以前に比べて生徒たちの自主性に任せられなくなったなあという印象がありますね」と梅津先生は証言する。

p.137-138 筑波大学附属駒場中学校・高等学校「
鈴木先生が「よーい、スタート!」と号令をかけると、クラスが徐々に静かになる。5分もすると「できた!」という声が上がる。その生徒は教室の前に出て、黒板を使い、自分の証明を発表する。
友達の証明の方向性が見えてくると、それまでざわついていた教室はシーンと静まりかえる。全員がその証明の美しさに釘づけになっているのがわかる。ところどころで、「おー!」「すげーや、これ」などの感嘆の声が聞こえてくる。そして発表が終わると拍手喝采に包まれる。理解し切れていない生徒のために、教師が補足の説明を書き加える。そこでまた教室はシーンと静まりかえる。「これはかっこいい証明だね!」と教師が褒めると他の生徒たちも「カッコイイ!」と応じる。教室全体が、引いては打ち寄せる波のように脈打つのがわかる。
「どうしても発表したい!」という2人目の生徒の証明はかなりユニークだ。今度は教室全体がざわざわし始め、「なにこれ」「すごすぎる!」「なんかキモいんだけど」「なんでこんなこと思いつくの?」というつぶやきが聞こえてくる。数学の証明問題を審美的感覚で捉え、楽しんでいるのがわかる。

p.138-139 筑波大学附属駒場中学校・高等学校「
方程式を習えば方程式を作らせる課題を出す。剰余類を習えばそれも作問させる。そして生徒に発表させる。それが筑駒の数学のスタイルだ。
「教師は教えるのではなく、コーディネートするだけなのです。かっこいい証明をみんなの前で発表するって、数学のいちばんおいしいところじゃないですか。そこを教師が持っていってしまってはいけませんよね。おいしいところこそ生徒にやらせてあげないと」と鈴木先生は笑う。

p.139-140 筑波大学附属駒場中学校・高等学校「
テストの採点では「部分点をばっちりあげる」と鈴木先生。「証明問題の採点はまるで暗号の解読。正直大変です。でも細かいところまでしっかり見て部分点をたくさんあげます。他人にわからせるマナーを身につけてほしいからです。学年が進むごとに、生徒たちの成長が答案に表れるようになります。自己中心的な答案から、他者の目を意識した答案に変化するのです」

p.143 筑波大学附属駒場中学校・高等学校「
(地理の授業の様子:)
大野先生は新聞記事中にある「那覇空港を拠点にした全日空の貨物路線網」に生徒たちの注目を集める。沖縄から、北京、ソウル、台北、香港、マニラ、バンコクと路線が広がる様子がわかる。そして「これはどこかで見たことがあると思わないか?」と投げかける。「中継貿易!」と声が上がる。琉球王朝が行っていた中継貿易の航路と一致することを発見するのだ。
「一見不利だと思われることでも見方を変えれば有利に変わる」、「歴史の中に現在の世の中との相似形を見出すことができる」など、社会科的な知識を単なる知識で終わらせず、線や面として捉える訓練がなされている。そのような頭の使い方こそを生徒には身につけてほしい。それが大野先生の授業の狙いだ。

p.144-145 筑波大学附属駒場中学校・高等学校「
定期テストは書いて、書いて、書きまくる
(略)
大野先生は中1・中2の地理をもう10年以上も教えている。中1地理では、とにかく自分の言葉でたくさん書くことを大切にしている。「うまくまとめる能力は後で身につければいい」という方針だ。社会科の範疇を超えて、文章力を鍛える訓練だ。「それが筑駒のテストだ」ということを早くつかみ取ってほしいという思いがある。良い答案は全生徒に配布し、手本にする。
コツコツと覚えることも必要ではあるが、それよりもひらめきやクリエイティビティを重んじている。「勉強のための勉強をするのではなく、勉強したことと実社会のつながりに気づいてほしい。たとえば沖縄のことを学んだのであれば沖縄に関連するニュースに対してアンテナを張ってほしい。そういう感覚を身につけることこそ勉強だ」と大野先生はいう。

p.149-150 筑波大学附属駒場中学校・高等学校「
生物スケッチでこだわり抜く力を養う
中1の生物では、生物のスケッチが課題になる。(略)
物事を客観的に捉えて正確に描くことは、どんな学問にも通じる大切なこと。絵のうまい下手とは違う。生物のスケッチで求められるのは、特徴を捉えて、それを他者にわかりやすく表現する能力、そして必要とあれば細部にまでこだわって根気よく仕上げる能力だと濱本先生は説明する。「ほら、これなんてものすごいこだわりが感じられますよね。納得するまでやりたいと思う気持ちが大切です。こだわりを突き通すと、いい加減なことをする自分が許せなくなるはずなんです。そういう境地にたどり着いてほしい」と濱本先生。「ときどき、『これは明らかに手を抜いたな』という提出物もあります。そういうとき、私はこういうんです。『本当にこれでいいのか。これが本当にキミの実力か。それならいいんだ。実力以上のことを求めるつもりはない。でも、手を抜いたのだとしたら、そういう自分を許してしまっているキミが残念だ』と。少々厳しい指導かもしれませんが、それが筑駒の生徒に伝えたい精神です。

p.151-152 筑波大学附属駒場中学校・高等学校「
筑駒の進路指導には4原則がある。
1.自分の進路は自分で決める。
2.自分の受ける学部・大学は自分で決める。
3.大学入試の合否に対しては自分で責任を取る。
4.それができる生徒に、学校は育てる。

p.172-173 桐朋中学校・高等学校「
通常の「国語」の授業でも、オリジナルのプリントが教材となる。主に小説や文学的なエッセイを題材として用いる。題材となる文章はそのときそのときのせいとたちの発達段階に応じて選ぶのが桐朋の国語の特徴だ。
「国語とは思考力を鍛える学問である」と原口大助先生はいう。そして最初に「不親切に授業するよ」と宣言する。
まず、板書もせずに、「まとめてごらん」といって、生徒たちに勝手にまとめさせる。生徒同士でお互いのまとめを見せ合う。当然中身はばらばらだ。友達のまとめと自分のまとめの相違点を注意深く見比べることで、何がどう違うのかが見えてくる。そして自分のまとめを整理し直す。最後に解答をまとめるのだ。

p.183 桐朋中学校・高等学校「
「My English Notebook」というノートを配布し、「なんでもいいのでノートが一杯になるまで英語を練習しなさい」という課題が出される。生徒の自主性を重んじるゆえであろうが、「なんでもいいので」というのがすごい。ただし、同時に配布されるプリントには推奨される学習法が細かく記されている。「1学期に学んだ単語を完全に覚えるまで発音しながら書く」、「生活の中で発見した英語表現を書きとめる(英語狩り)」、「英語の映画を字幕なしで見て、聞き取れた英語を書き出す」など。これらを参考に、しかしこれに縛られず、自分なりの英語学習法を見つけてほしいという思いが込められている。

p.344 東大寺学園中学校・高等学校「
実験に際しては、手順を示したオリジナルのプリントを配布し説明する。顕微鏡をのぞき込みながらの作業が必要な場合は、教師用の顕微鏡を大型モニターに接続し、まず教師が手本を見せる。「20倍に拡大された顕微鏡内の画像をもとに作業を行うのですから非常に繊細な作業が要求されます。でも、手本を見せると生徒たちはすぐに『やりたい!』といって実際にやり出してしまいます。男の子たちは実験が大好き。植物のめしべから胚珠を取り出してみたり、納豆菌が泳ぎ回る姿を見たりして喜んでいます」と丹賀光一先生。

早乙女勝元・編『平和のための名言集』

平和のための名言集

平和のための名言集


早乙女勝元さんが編集した、毎日1つずつ、平和のための名言が載っている本。日めくりカレンダー的な。いやー、まったく知らなかった言葉のなんと多かったことか。自分のコアの部分というか、仕事のモチベーションは、この「平和」についてのことにあり。正月に読むにはピッタリの読書だったな、と。以下、いろいろとメモ。

p.2-3「
とりわけ十代の多感な思春期には、一冊の本、一本の映画でも、心の震える瞬間がある。それが、その人の「初心」を形成するにちがいない。
私の場合はどうか。大学はおろか高校も出られず、戦後すぐに町工場の少年工からのスタートで、自分で自分を哀れに思えた青春だった。それでも、十万人もが死んだ「炎の夜」の生き残りとして、戦争の起きた原因と、大人たちがなぜ戦争を阻止できなかったかを知りたいと、読書に励んだ。それが少しも中断することなしに続いているのは、感動が私を豊かにしてくれたからだと思う。
日記帳と感想帳の二冊のノートを手離すことなく、読みながら書き、書きながら考えたが、読んだ本のうち、深く心をゆさぶられる文章を、ノートに書きとめた。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
とは、宮沢賢治の言葉だったが、感想帳の一ページめの白い余白に書きこんだ。自分もこんなふうな気持ちの人間になりたいなあ、と思ったからである。

p.21「
戦争中われわれが最も失っていたものは良識である、と私は考えておるが、それをわれわれは、ほかならぬ大和魂の名によって失っていったのである。
谷川徹三『文化論』
※詩人谷川俊太郎は徹三の長男。

p.23「
そもそも戦前と戦後の歴史がだらだらと繋がって切れ目のない日本と、敗戦を総統国家の終焉とナチズムからの解放とみなしているドイツとでは、戦後の原点からして決定的にすれ違っているのである。
姜尚中「戦後50年と近代化100年」(『戦後を語る』岩波新書

p.24「
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし見捨つるほどの祖国はありや
寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』(角川文庫)

p.25「
たった一つのローソクなどと考えてはなりません。すべての人が自分のローソクに火を灯せば、真っ暗な夜を明るい昼に変えることができるのです。
オグ・マンディーノ『この世で一番の奇跡』

p.26「
戦争は決して地震や津波のような天変地異ではない。
石川啄木(『いのちある言葉』)

p.28「
軍隊というところは、人間をダメにしますね。自由とか、創造というものを認めない。命令、命令で、なにもかも一つの型にハメこもうとする。
一銭五厘赤紙一枚で、各地からいろんな人が集められてくる。……そういう人たちの能力も個性もおかまいなく、ただ命令の一言で、いっしょくたにしばろうとする。人間の特性である「考える」という作業を、軍隊生活では必要としない。
升田幸三升田幸三自伝 名人に香車を引いた男』

p.29「
いまの戦争が、単に少数階級を利するだけで、一般国民の平和をかきみだし、幸福を損傷し、進歩を阻害する。きわめて悲惨な事実である……。しかも事がここにいたったのは、野心ある政治家がこれを唱え、功を急ぐ軍人がこれを喜び、ずるがしこい投機師がこれに賛成し、そのうえ多くの新聞記者がこれに付和雷同し、競争で無邪気な一般国民を扇動教唆したためではないのか。
幸徳秋水平民新聞」明治37年3月27日

p.38「
一度戦争が起これば問題はもはや正邪曲直善悪の争いではなく、徹頭徹尾、力の争い、強弱の争いであって、八紘一宇とか東洋永遠の平和とか、聖戦だとかいってみても、それはことごとく空虚な偽善である。
斎藤隆夫「反軍演説」 帝国議会衆議院本会議

p.46「
「人道問題に人道的解決なし」という私の発言がよく引用されるが、私が言わんとしたのは、難民問題は本質的には政治問題であり、したがって政治によって対処されなければならないということである。人道行動は政治行動をとるための余地をつくり出すことはできるかもしれないが、政治行動にとって代わることは決してできない。
緒方貞子『紛争と難民 緒方貞子の回想』

p.79「
共産党員が迫害された。私は党員でないからじっとしていた。社会党員が弾圧された。私は党員でないから、やはりじっとしていた。学校が、図書館が、組合が弾圧された。やはり私はじっとしていた。教会が迫害された。私は牧師だから行動に立ち上がった。しかし、そのときはもう遅すぎた。
マルチン・ニーメラー早乙女勝元アウシュヴィッツと私』)

マルチン・ニーメラー(1892年~1984年)。ドイツの神学者。第一次世界大戦に軍人として参加、戦禍をきっかけに神学に転じ、第二次世界大戦中には反ヒトラー・反ナチスのドイツ教会闘争の中心人物となる。そのためにダッハウ強制収容所に投獄されるも告発を続け、戦後も反戦運動、ドイツ統一運動などで活動、66年に来日した。

p.95「
人を殺して実現する正義はない。「平和のための戦争」とは自己矛盾である。単純な論理です。
竹中千春「ガンジーを探す旅」(「東京新聞」放射線・2007年12月3日)

p.109「
抗議して生き残れ
エドワード・P・トンプソン『核攻撃に生き残れるか』

p.120「
「大きな人間」が戦争を起こそうとしても、「小さな人間」がいないと戦争はできない。これはもう古今東西の歴史に残っている事実です。いくら「大きな人間」がやっきになって戦争をしろと叫んでも、「小さな人間」が動かないと結局戦争はできない。……つまり「小さな人間」が自分たちの力を信じて戦争に反対する限り、戦争はできない。あるいは戦争をやめさせることができる。
小田実「世直し大観」(「世界」2007年12月号)

p.121「
そこに居合わせた両国の兵士たちが、皆おごそかに誓ったのだ。このようなことが二度と地上に起こらぬよう、各自が力をつくし、できるかぎりのことをしようと。地上におけるすべての国の人たちが、平和に生きていくべきであり、それを単なる理想に終わらせることなく実現しようではないか、と。これが、われわれの「エルベの誓い」である。
ジョセフ・ポロウスキー(早乙女勝元『エルベの誓い』)

p.185「
理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる
ルソー『エミール』

p.194
花森安治(1911年~1978年)。ジャーナリスト。戦時中の1941~45年まで大政翼賛会宣伝部に所属、「欲しがりません勝つまでは」などの戦時標語の採用に関わり、政府の戦意高揚政策に協力。戦後はその経験をもとに反戦思想を持ち続ける。48年雑誌『暮らしの手帖』を創刊。企業広告を掲載せず、自由な立場から大企業製品の“商品テスト”を行い、その結果を誌面に掲載。その後消費者運動に大きく貢献する。

p.219「
第三番目にきたのは世界戦争ではなく、まさしく人類史上はじめての世界反戦えある。
古在由重「人類の大義のために」(『いのちある言葉』)

p.242「
僕は若いヤツらには、電信柱にしがみついて、身体を鎖でくくりつけてでも戦争には行ったらあかん、親兄弟にまで国賊と罵られても山の中に逃げろと言いたい。
井筒和幸「井筒監督の教えたるわ!歴史と憲法」(『憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本』)

p.244
岸恵子『30年の物語』

p.259「
賢さを伴わない勇気は乱暴であり、勇気を伴わない賢さなどはくそにもなりません!世界の歴史には、おろかな連中が勇気をもち、賢い人たちが臆病だったような時代がいくらもあります。
エーリヒ・ケストナー飛ぶ教室

p.275「
私はあなたのいうことに賛成はしないが、あなたがそれをいう権利は死んでも擁護しよう。
ヴォルテール丸山眞男『現代政治の思想と行動』)

p.297「
学校のためでなく人生のために
ヘイノネン(天野一哉「押し黙る子ども」をつくらないために「週刊金曜日」No.692)
」※ヘイノネンは、フィンランドの元教育大臣。

p.322「
みなさんは、つぎの事実を隠すことはできない。それはかつてみなさんが、戦争という手段を取ったという事実である。……この事実をしっかりと踏まえた上で、日本人は着実に平和の道を進まなければならない。しかし日本はあろうことか再軍備の道に突き進もうとしている。これは由々しき事態である。「私は日本の再軍備に反対する」。
パール判事中島岳志パール判事』)

p.331「
核兵器に殺されるよりも、核兵器に反対して殺されるほうを、わたしは選ぶ。
宇都宮徳馬(「軍縮問題資料」No.292)
宇都宮徳馬(1906年~2000年)。政治家・実業家。京都大学在学中、論文が不敬罪に問われて検挙・退学。1929年、治安維持法違反で投獄、獄中で転向を表明、ミノファーゲン製薬本舗を設立。戦後、自由党衆議院議員、石橋湛山三木武夫系の政治家として平和共存外交、日ソ国交回復、日中・日朝国交回復を主張。1976年、三木おろしに反発して離党・議員辞職、「宇都宮軍縮研究室」を創設し平和問題にかかわる。

#『橋のない川』は、読んでおきたいな。